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「桜を、見に行きませぬか?」
控えめな誘(いざな)いに、山のように積まれた書簡から目を上げる。
微笑みと共に向けられた視線は、暖かい。
まるで、春の穏やかな空気のように。
(ああ、そうか)
忘れていた。
暦は、もう春を迎えていたではないか。
政務に追われ、降り注ぐ春の陽気にすらも気付いていなかったとは。
「そうだな」
やらねばならぬことは多いけれど、そこまで急を要するものでもない。
少しは休息も必要であろう。
それもまた、道理というもの。
「行くか、幸村」
言うが早いか、筆を置いて立ち上がる。
その声に居ずまいを正して、こちらを振り仰いだその顔は。
「はい、三成殿」
差し込む陽光よりも眩しく、笑んでいた。
「大丈夫でございますか?」
「……問題…な、い」
…忘れていたわけではない。
自分があまり酒に強い方ではないことも。
幸村が、滅法酒に強いということも。
けれど。
(致し方ないではないか)
見事としか言いようがないほどの、満開の桜。
そして、目の前には幸村が、穏やかな笑みと共に在るのだ。
そんな状況で、酌が進まぬはずもない。
けれど、幸村の前で酔いつぶれるという醜態を晒してしまったのは事実。
とは言え、幸村の膝を枕に、しばし横になる羽目になったことはやはり役得というべきか。
…などと、煩悶する頭に、ひやりとした感触が伝わってきた。
遠慮がちに額に置かれた幸村の手が、心地いい。
「申し訳ございませぬ…」
本当に済まなさそうな声に瞼を上げると、幸村がこちらを見下ろしていた。
何を謝る必要があるのだろうか。
三成が口を開くよりも先に、幸村が言葉を続ける。
「かなり根を詰めていらっしゃったご様子でしたので、せめて桜でも愛でて一息ついていただければと、思ったのですが…」
(しくじった…)
幸村のことだ、日々仕事に追われるこの身を案じ、気に病んでくれていたのだろう。
それすら気付かなかったとは、そんなに余裕がなかったのか、自分は。
けれど、心配をかけて済まなく思う反面、また、嬉しくもあった。
「それに」
ふと、幸村の目が寂しげな色を見せた。
「多少なりとも、ふたりで時を過ごせれば、と…」
そこまで言って、唐突に言葉を切る。
「…わたしも、少々酔ってしまったようです」
じっとその瞳を見つめると、慌てたように、ふいと幸村が顔を逸らした。
その眦は、ほんのりと色づいて。
(むしろ…)
―― 華は、そなたではないか。
思わず口を衝いて出そうになった言葉を飲み込んで、代わりに腕を伸ばす。
「み、三成殿!?」
「両手に花、とは斯様なことかな」
「お、お戯れは…」
焦った声が頭上から降ってくる。
そんな声に動じるはずもなく、幸村の腰に廻した腕に力を込めた。
こうしていると、幸村だけではなく、すべてをこの腕(かいな)に抱いているようだ。
天を覆うほどに咲き誇る桜も、そして、この日の本の国も。
(咲かせてみせようではないか)
戦場(いくさば)ではなく ――
この、腕の中で。
--- 2007.1.23 ---
―― 春の陽気は、魔物が潜んでいるのやも知れぬ。
そうとしか思えない。いや、きっとそうだ。
でなければ、こんなに仕事に集中できないはずがないのだ。
本日幾度目かになる欠伸を噛み殺しつつ、三成は軽く頭を振った。
どうも調子が出ない。
文机に広げられた紙はまだ白いまま、やるべき仕事は一向に捗っていなかった。
その事に軽い苛立ちを覚えつつも、気付くとまた手が止まっている。
「……外の空気でも吸うか」
筆を置き、縁側へと向かう。
春独特の暖かい日差しと、柔らかい空気。
そして、春風が運ぶ花の香りに、暫し忙しない日常を忘れそうになる。
「たまには、悪くない」
春の陽が差し込む庭へと目を遣りながら、柱に背を預けて座る。
この隣に幸村が居れば文句はないのだが…、などと思いつつ、三成はぼんやりと春の景色を眺めていた。
―― 春の陽気は、人を幸せな気分にするのやも知れぬ。
道行く人々の活気に満ちた顔を目にすると、自然と口元も綻ぶ。
つい先日まで、昏く重い空気が、人々の頭上にのしかかっていたというのに。
その元凶であった、戦国の世。
それを終わらせた彼の人の事を想うと、頬を掠めていく春風のように、心も暖かくなる気がする。
きっと三成は、今日も屋敷に閉じ籠もって政務に励んでいることであろう。
こんなに天気もよく、気持ちのよい春の日に、それは余りに勿体なさ過ぎるではないか。
差し出がましいとは思いつつも、こんな日くらいは暫し政務を忘れても罰は当たるまい。
机に向かいっぱなしで体がなまっているというのであれば、喜んで剣の相手も務めよう。寧ろ、手合わせ願いたいくらいである。
そんな事を思いながら、幸村は三成の邸宅へと向かう足を速めた。
「三成殿…?」
そっと声をかけてみれども、その姿は微動だにしない。
怪訝そうに三成の顔を覗き込んだ幸村であったが、すぐにその表情が優しいものへと変わる。
三成がこのように、縁側で無防備に転寝をするなど滅多にないことだ。
(…きっと、疲れてもおいでなのだろう)
起こさないように、その隣へ幸村はそっと腰掛けた。
暖かい春の陽気に、いとも容易く眠気に誘(いざな)われる。
(こんな風に…)
こんな風に、穏やかな空気の下、無防備に眠るなど、以前なら考えられなかったことだ。
それを可能にしたのは、他ならぬ三成だ。
勿論、それは三成一人が成しえたことではないけれど、それでも導いたのは紛れもなく彼である。
そしてまた、こんな風に。
彼の隣に居られることを、嬉しく思う。
「ありがとう、三成殿」
その囁きは、春風に紛れるように消えていった。
おまけ。
―― 春の陽気は、人を惑わせ、怠惰にさせるのだ!
「仕事は進んでいるか、三成!!」
勢いよく襖を開けてみても、そこにあるはずの主の姿がない。
「三成? おらぬのか?」
ずかずかと部屋を横切り、縁側へと続く障子をこれまた勢いよく開ける。
「何をしているのだ、おまえたちは!」
呆れたような声を上げる兼続の視線の先には、まるで猫のように身を寄せ合って昼寝をしている三成と幸村の姿があった。
常日頃から大きいと言われる兼続の声にすら、微動だにしない。
それどころか、すやすやと気持ちよさそうな寝息まで立てている始末。
「三成、幸村、起きろ! このような場所で寝ていると、体を壊すではないか!」
「……兼、続…殿…?」
寝惚けたような声で名を呼びながら、幸村がようやく身を起こす。
まだ覚醒しきっていない目を兼続に向けながら、
「…おはよう…ございます……」
こどものようにあどけなく笑った。
「何を呑気なことを…」
「ん……」
くぐもった声が、兼続の呆れた声に被さる。
幸村が起き上がった拍子に、三成もまた身じろぎをしながらうっすらと瞼を上げた。
「三成! ようやくお目覚めか! 一体おまえた…」
「邪魔をするな…!!」
「うぐ…っ」
兼続の長身が、突如幸村の視界から消えた。
寝惚け眼の三成が懐から取り出した扇子が、兼続の額に見事に命中したのである。
「か、兼続殿!? 三成殿!!!」
一瞬にして眠気が吹き飛んだ幸村を余所に、三成は再び眠りに落ち、兼続は目を回していた。
……平和な春の日の情景、であった。
--- 2007.1.26 ---
それは、昏く。
伸ばした指先が何かを探るよりも速く、その先を呑み込んでしまうほどに。
昏い ―― 闇。
この心の奥深く、まるで澱のように滞って。
脱け出そうともがけども、蜘蛛の巣のように絡みつき、そして。
身動きのとれなくなった心を、蝕んでいく。
やがては、すべてが闇の中へと。
「……っ」
声にならない声を上げて、幸村は思わず跳ね起きた。
荒い呼吸を繰り返し、どくとくと波打つ血流を落ち着かせるように胸へと手を当てる。
夏でもないのに、寝着は汗でしとどに濡れていた。
灯された明りもとうに消え、部屋は暗闇に包まれている。
まるで、先ほど見た夢のように。
(またか…)
このように、夢に魘され真夜中に起きるのは何度目だろう。
胸の内に巣食った闇を吐き出すように、幸村は大きく息を吐いた。
明日も早いのだから、しっかりと睡眠を取らねばとは思うのだけれど、どうにも眠る気になれない。
もしかしたら、あの闇に捕らわれるのが怖いのかも知れない。
だから、瞳を閉じることすら、ままならずに。
「情けない…」
思わず口から零れた言葉に、苦い笑みが浮かぶ。
緩く頭を振ってから、幸村は布団を抜け出し、そっと庭に面した格子を開けた。
丸い月が、虚空に浮かんでいる。
(ん…?)
月明かりに照らされた影が、こちらを振り向いた気がした。
「どうした。眠れないのか?」
「三成殿…?」
段々と宵闇に慣れた目が、その姿を捉える。
「どうされたのですか? こんな刻限に…」
先に問われていたのは自分であることを忘れ、幸村は思わず疑問を投げかけていた。
「ふと空を見上げたら見事な月だったからな。…気まぐれだ」
「そう、ですか…」
恐らくは明日の陣の采配などで、とうてい眠りに就くなどできなかったのであろう。
自分などが労いの言葉をかけるなどおこがましい気がして、幸村は短く応えるしかなかった。
「それで? おまえはどうした」
「あ、ええ…」
どう説明していいのか答えあぐねていると、その答えを待たずに三成が先に口を開いた。
「…おまえは、時々ひどく辛そうな顔をするのだな、幸村」
「え…」
思いもよらぬ言葉に顔を上げると、三成の強い視線とぶつかった。
いつもの斜に構えたものと違う、どこか憂いを帯びた瞳で。
「大一大万大吉」
「は…?」
「意味を言ってみろ」
唐突な言葉に戸惑いつつも、幸村は一語一語をはっきりと声に出して答える。
「ひとりが皆のため、皆がひとりのために尽くせば、天下泰平になる、と…」
「そうだ。…だから、おまえひとりが全てを背負おうとする必要はない」
「……っ」
……月が。
「何もかもをひとりで、守ろうとしなくてもよい」
三成の端正な顔を照らしている。
「おまえには俺がいる。…兼続も、慶治も」
そして、その光が。
この心の奥にまで、差し込んで。
あの昏き闇を、覆い尽くすほどに。
「…はい」
「明日も早い。早く床に就け」
「はい、三成殿」
「いい返事だ」
ふっと笑んだ三成の顔が、月の光に溶け込んでいく。
(ああ、きっと…)
―― きっと、もう。
あの夢は、見ないだろう。
光が、照らしてくれるから。
--- 2007.1.27 ---
「いつまで続くのだろうな、この長雨は」
吐息混じりに吐き出されたその言葉と同様に、雲は重く垂れ込めて。
昼間であるのに、行灯が必要なほどに部屋は薄暗い。
降り続く雨のために、ここ暫くは青空が覗くことはなかった。
「降らねば作物は実らぬし、かと言って、降り続けば川は氾濫する。上手くいかぬものだ」
その灯に照らされた三成の表情にも、どこか翳りが差して。
胸の奥が、ざわりと波打つ。
「人の政も謀も、なんの役にも立たぬ。所詮我らは、自然の前では無力なのだな」
ぽつりと呟いたその声に潜まれた、自嘲の響き。
憂いを帯びた瞳のまま、ひとつ頭(かぶり)を振る。
「俺らしくもない」
それは、もしかしたら無意識のうちに発した言葉であったのかもしれない。
普段であれば、決して口にせぬであろう、言葉。
「…先の言葉は、忘れてくれ」
「いえ、忘れませぬ」
咄嗟に口をついた言葉に、三成は目を見張る。
「幸村…?」
「三成殿のお言葉であれば、何一つ忘れたくなどありません」
そこまで言って、漸く我に返った。
目の前の三成は、未だ瞠目したまま。
「あ、…その……、すみません、出すぎたことを…」
(何を言っているのだ、わたしは)
「わ、忘れてください」
何てことを口走ってしまったのかと、体中が烈火の如く熱くなる。
まともに三成の顔を見ることができずに、幸村は面を伏せた。
「いや、俺も忘れたくなどないな。おまえの言葉であれば」
一語一句はっきりと、そう告げられて。
恐る恐る顔を上げると、そこには憂いなど微塵も感じられぬほど、真っ直ぐな瞳があった。
(いつもの、三成殿だ…)
その事に安堵したのか、自然と口から言葉が紡がれる。
「今は暗くとも、雨の上がった後の空は、…綺麗です」
青き空は、その涯(はて)もわからぬほどに、広く。
「とても澄んでいて」
(…まるで)
―― あなたのように。
「好きです、わたしは」
あなたは、笑うかもしれないけれど。
「そうか、ならば」
すっと立ち上がり、三成は障子を開け放つ。
その向こうの空は、まだ雨に黒く塗り潰されているけれど。
「共に見るか、この雨が上がった時は」
「はい」
そう、共に。
この戦乱という名の雨が、止んだ暁の先の空を。
--- 2007.7.3 ---
| 05 | 2026/06 | 07 |
| S | M | T | W | T | F | S |
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真性アスキラー。
思いもよらずダブルOが歴代G
の中で一番好きな状況に。
成層圏の向こう側まで狙い
撃つ兄貴を愛してやまず。
BAS●RAの影響で戦国史に
どっぷり。VIVA眼帯。
えろすきーだけどホモスキー
に非ず。
オフラインでは【絶対零度】
というサークル名で活動中。