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これがきっと、僕への罰。
死闘後、キラのことだけを忘れたアスランは ―― …
無印本編派生型パラレルのアスキラ。
※一部大人向けの表現もありますのでご注意ください。
「君は…誰?」
―― きっと、これが。
僕への罰。
●
出逢わなければよかった、なんて。
そんな風に思ったことは一度もなくて。
だって、きっと。
出逢ったことで得た苦しみよりも、
出逢えないことのほうが、もっとずっと、苦しいから。
「ダメです!! ストライク、あと30秒でフェイズシフトダウンします!!」
ブリッジのメインモニターに映る、赤と白の機体。
戦闘は両者とも譲らず、熾烈を極めていた。
「援護して!!」
「無理です! この射程ではストライクまで巻き込まれます!!」
「このままでは…」
クスクスクス
「そうよ、殺し合えばいいのよ」
「フレイ…?」
緊迫したブリッジ内に、不釣り合いな笑い声が響く。
アハハハハハハ
憎悪に充ちた目をモニターに向けたまま、
「殺し合って、死ねばいいのよ!!」
狂ったように笑う姿に、かつての面影は微塵もなく。
「フレイ……」
静まり返ったブリッジ内には、フレイの哄笑だけが響いていた。
もう戻れない、と。
そんなことは、とっくの昔に知っていた。
互いに。
どうすればいいのか、なんて知らない。
ただ、刷り込まれたかのように、戦うしかなかった。
忘れられたら楽だったのかもしれない。
それでも。
忘れられるわけがなかった。
忘れたくなどなかった。
どんなに傷ついても。
たとえ、何もかも奪われても。
ただひとつ、失えないもの。
……それを、自らの手で奪い去る。
そんなことを望んだりはしなかったのに。
望んだのは、ただひとり。
たったひとりの、存在。
…だから。
ぶつかり合う刃。
飛び散る閃光。
そして。
―― 最後の我侭だけは、叶えてほしい。
開かれたコクピット。
差し出された手。
繋がる、瞬間。
「このままだと、二機とも爆発します!!」
「ヤマト少尉は!? 脱出したの!?」
「キラ、キラ、応答して! キラ!!」
幾度呼びかけても、反応はなく。
「そう、あんたは私を守って死ぬのよ!!」
「フレイ!」
サイに抱きしめられたまま、フレイは笑いつづけている。
「キラ、応答して!!」
メインモニターに映るのは。
眩いばかりの、閃光。
「キラ ―― っ」
―― 最期は、どうか。
君の腕で、眠らせて。
●
どこか遠くで聞こえる、子供たちの笑い声。
小鳥の囀り。
穏やかな、柔らかい日差しに。
ゆっくりと、目を開ける。
「お目覚めになられました?」
「え…」
そこにあったのは、優しい微笑み。
「ラクス…?」
「お久しぶりですわね、キラ様」
「どうして君が…」
まだ覚醒しきっていない身体は、思うように動かない。
(僕、生きてる…?)
あの時。
イージスと…アスランと、戦って。
二機とも爆発するのはわかっていた。
最期だと、覚悟した。
だからせめて。
「ここはプラントですもの」
共に、と。
「プラント、って…」
「キラ様、宇宙空間を漂ってらしたのをザフトの艦に収容されたんですわ」
「アスランは!?」
そう訊ねると、ラクスはちょっと困ったような、複雑な顔をした。
その表情に、一気に血の気がひく。
考えたくなくても、嫌な考えが頭に浮かぶ。
それを必死に掻き消そうとする。
「アスランも無事ですわ」
「本当!?」
けれど、そう答えたラクスの顔は晴れない。
「ラクス?」
「キラ様、アスランも同じ病院に居ますわ」
「だったら…」
「お会いになります?」
「会いたいよ」
間髪入れず答えるキラに、何かを決意したようにラクスは真っ直ぐにキラの瞳を見てこう言った。
「…何があっても、平気ですわね?」
コンコン
「どうぞ」
それは聞き間違えようもない、”彼”の声。
ただひとり、望んだ人。
「会いたい」とは言ったけれど。
(今更、どんな顔して会うつもりだったんだ…)
何度も彼を裏切った自分。
けれど、会いたかった。
アスランの、無事な姿が見たかった。
…その笑顔を、もう自分に見せてはくれなくても。
カチャ
ラクスが静かに扉を開ける。
ドクン
心臓がひとつ鳴る。
「アスラン、お加減はいかがですの?」
「ええ、もう大分いいですよ」
(アスラン…)
声を聞いただけで、涙が出そうになる。
(よかった……!!)
その時、扉の影に隠れていた姿にアスランが気づいた。
「他にも、誰か?」
ラクスが無言でキラを促す。
会いたい。
でも、会うのが怖い。
彼は、どんな顔で自分を見るのか。
それでも。
「アスラン…」
―― その声で、名前を呼んで。
恐る恐る顔を上げる。
そこにあったのは、不思議そうに、小さく笑う姿。
「君は…誰?」
●
締め切られたカーテンの向こうで、雨音がする。
薄暗い部屋の中、ベッドの隅にうずくまり、キラはどこか一点を見つめていた。
けれど、その瞳には何も映ってはいない。
急速に、世界は色褪せていた。
『君は誰?』
アスランの口から出たのは、自分の名前ではなく。
大好きな笑顔を見せてくれなくてもよかった。
ただ、名前を呼んでくれたら。
(きっとこれが、僕への罰なんだ…)
アスランを裏切りつづけた自分への。
あの時、居たたまれなくなって、そのままアスランの病室を飛び出した。
涙は枯れることをしらないかのように、流れ続けた。
後を追ってきたラクスは、ただ黙って、静かに背中を撫でてくれた。
そして今は、彼女の家に居る。
『アスランは、爆発のショックで記憶が一部失われているみたいですの』
その後、落ち着いてきたキラに、ラクスが告げた事実。
『プラントに来る前の記憶が、あまりないようですわ』
それは、即ち。
『キラ様のことを…何も、覚えていないみたいで』
何も、覚えていない。
共に過ごした時間も。
想い出も。
忘れてしまった。
この、自分のことを ―― …
また一筋涙が頬を伝う。
アスランは生きていた。
けれど。
(忘れるなんて…)
そんなこと、思いもしなかった。
どんなに、憎まれても。
もう、あの笑顔を自分に向けてはくれなくても。
どんな形にしろ、アスランの中に、自分は存在して。
(そんな、こと……)
もう、アスランの中に。
この自分の存在は、なくて。
(アスラン…っ)
……忘れてしまえたら、楽かもしれない、と。
思ったことは、確かにあった。
だけど、忘れられなかった。
忘れたくなかった。
(アスランは…忘れたかったの?)
忘却が。
こんなに、怖いなんて。
知らなかった。
…知りたくなど、なかった。
日々は、無為に過ぎていった。
何をするでもなく、殆どを薄暗い部屋の中で過ごした。
ラクスは特に何を言うでもなく、ただ優しい微笑みをくれた。
ラクスの笑顔は、暖かかったけれど。
凍り付いてしまったかのように冷え切った心は、溶かされることはなく。
空虚だった。
ブラウン管に映る、地球軍とザフトの戦闘の映像を見ても。
不思議と、心は痛まなかった。
もう何も、感じない。
あんなにも心を砕いていたのが、嘘のように。
……結局。
自分にとって、何が一番大切なのか。
心のずっと奥に、閉じ込めていたもの。
誰にも ―― 自分にさえも ―― 、触れさせないようにしてきたもの。
それが、一瞬にして壊されてしまった。
(でもそれは、僕の所為)
アスランが忘れたいと思っていたのなら。
忘れた方が、幸せならば。
きっと、その方がいい。
(僕は、嘘つきだ)
何度も自分に言い聞かせようとした。
でも、出来なかった。
本心からそんなこと、思えるはずがなかった。
(もう僕には、何もない……)
自分とアスランを繋ぐ、唯一の絆。
トリィも、あの戦闘でどこかへ行ってしまった。
(もう、何も ―― っ)
世界は、色を失っていた。
●
退院してから数日が過ぎた。
どうやら自分は昔の記憶を少し失ってしまったらしいと、医師に告げられた。
だからと言って、別に特に支障があるわけではなく。
隊に復帰してからも、以前と変わりなく作戦に参加して。
……ただ。
理由のわからない焦燥が、心のどこかにあって。
『アスラン…』
あの日。
退院する前日に、ラクスが連れてきた彼女の”友人”――
恐る恐る顔を上げて、自分を見た。
その唇から、自分の名前が紡がれたとき。
ひどく、懐かしい感じがして。
初めて会ったはずなのに。
もしかしたら、以前に会っていたのかもしれないけれど。
何か不思議な感じで、思わず口から出ていた言葉。
『君は誰?』
そう言った時の彼の顔が、頭から離れない。
大きな瞳を、更に見開いて。
その瞳から、零れた大粒の涙。
まるで、その欠片が心臓に入り込んでしまったかのように。
胸の奥が、痛んだ。
(綺麗な瞳を、していたな…)
紫色の、宝石のような瞳。
少しやつれてはいたけれど、とても綺麗な面立ちで。
(どんな顔して笑うんだろう)
きっと笑った顔は、凄く綺麗なんだろう、と。
いつの間にか、そんな事を考えていて。
(彼と、話をしてみたい)
人と付き合うのはあまり好きな方ではなかった。
というよりも、ひとりのことで手一杯で、そこまで手がまわらないというか…
(ひとりの、こと?)
ズキン
「痛ぅ…っ」
誰かの面影が、頭にちらつくのに。
考えようとすると、それを阻むように頭痛がした。
(とりあえず、ラクスに連絡してみるか…)
もう一度。
彼に、会いたかった。
●
「キラ様、今日はいいお天気ですわ。お庭に行きません?」
いつものように部屋に閉じこもりきりのキラに、ラクスが珍しく外に誘う。
「うん、そうだね…」
特に断る理由もなく、キラはラクスと連れ立って外に出た。
(眩しい…)
久しぶりに出る陽の光の下で、キラは目を細める。
心は未だ、満たされぬまま。
(もう、何もかも、どうでもいい……)
ぼんやり見つめる外の景色は、相変わらず色を失ったままで。
「あ」
唐突に、ラクスが声を上げる。
「わたくし、急なお仕事があったんでしたわ」
にっこり笑いながら。
「キラ様、折角ですからしばらくお散歩でもしてきてくださいな」
「え…」
そう言うなり、ラクスはさっさと家に入っていく。
ぽかんと、置き去りにされてしまったキラが見ている前で、さっさと家を出て行く。
「では、いってまいりますわね」
「あ、うん、いってらっしゃい…」
ラクスの突飛な行動は、今に始まったことではないけれど。
キラはその場で、しばらくは唖然としていた。
(ラクスって…)
彼女の今までの行動を思い返しながら、少しだけ頬が緩む。
彼女のことは好きだった。
…だけど。
(やっぱり、足りないんだ…)
この自分を、満たすもの。
風が優しく頬に触れる。
そのまましばらく、風に身体を預けて。
どこかで小鳥が囀っている。
と、その中に、懐かしい羽音が聞こえた気がして、キラは振り返った。
「トリィ…!?」
目の前に、舞い降りたのは。
見間違えるはずなんてなく。
「気に入った?」
声に、ならなかった。
自分を満たす、唯一の存在が。
優しく、笑っていて。
「気に入ったのなら、あげるよ」
「これ、君が…?」
震えながら、それだけ言うのが精一杯で。
「うん。ちゃんとね、首傾げて啼いて、肩に止まって、飛ぶんだ」
……まるで。
あの時が。
戻ったみたいに。
「ありがとう……!」
(ああ、やっぱり…)
笑った顔は、とても綺麗で。
「この前は、ごめん。もう一度、君に会いたくて」
懐かしいと、感じてしまう。
「名前、訊いていい…?」
「あ…」
アスランの何気ない言葉に、キラは身が竦んでしまう。
許されるはずがない。
だけど。
「…ラ」
「え?」
「キラ・ヤマト…」
もしも、許されるならば。
その声で、
「キラ…」
もう一度、名前を呼んで。
●
これはきっと、僕への罰。
けれど、許されるならば。
もう一度、始めよう。
もう、一度 ――
--- 2003.3.22 ---
許されるわけがない。
きっと、許されちゃいけない。
……だけど。
求める心に、終わりはなくて。
●
バサバサッ
「こらトリィ、よせってば」
緑色のロボット鳥が、所狭しと肩に乗る。
「ごめん、作りすぎた…みたいだね」
エメラルドグリーンの瞳が、申し訳なさそうにちょっと笑う。
―― あれから。
アスランは時間を見つけては、クライン邸に来ていた。
足繁く通うその姿に、周囲は彼と許婚の仲を想像し、祝福していた。
誰も、事実を知らずにいた。
彼ら3人を除いて。
「ううん、そんなことないよ」
来る度に贈られたトリィは、今や両の手の指の数では足りなくなる程ではあったけれど。
(やっぱり、相変わらずなんだな…)
たとえ記憶を失くしていても、変わらないそんな所がなんだか嬉しくて。
…とても、愛しくて。
けれど。
(あ…)
視線に気づいて顔を上げると、グリーンの瞳は真っ直ぐにこちらを見ていて。
真っ直ぐすぎるその視線を受け止めきれず、キラは思わず目を逸らしてしまった。
「あら、どうされましたの?」
気まずい空気を打ち破るような、優しい声音が響く。
3人分のお茶を載せたトレーを手に、ラクスがこちらにやって来る。
「あ、えと…ごめん、僕、ちょっと家に入ってるね」
そう言うが早いか、2人が何かを言うよりも早く、キラは屋敷の中に入っていってしまった。
「キラ様、どうかなさいましたの?」
ちらと、婚約者の方を見ながら、ラクスが先に口を開く。
「いえ、特に思い当たることは…ないんですが」
アスランは、キラが消えた屋敷の方をじっと見たまま。
「残念ですわね、折角キラ様に会いに来られたのに」
「!!」
その言葉に、ラクスの淹れてくれたお茶を思わず噴きそうになる。
「ラ、ラクス…?」
彼女の方を見ると、じっとこちらを見つめたまま。
「キラ様がいらっしゃる前は、お休みの時でもこんな風に暇をみつけてやって来られるなんてこと、ありませんでしたものね」
にっこり笑いながら、そんな事をさらっと言いのける。
あまりに図星すぎて、弁解の余地はない。
「あの、その…ラクス……」
「いいんですのよ」
その声には、先程までの悪戯っぽい響きは含まれておらず。
思わず彼女の顔を見ると、とても優しい眼差しで。
「あなた方おふたりが、幸せそうに笑ってくださるなら、わたくしはそれが一番嬉しいですもの」
「ラクス…」
暫し、無言の時が流れる。
穏やかな昼下がりの、穏やかな陽の下で。
「けどキラは…、迷惑に思っているのかも…しれません」
先程の様子を思い出し、知らず溜息が洩れる。
「あら、珍しく弱気ですのね」
「ラクス…」
(俺はどういう風に思われてるんだ…?)
ラクスは何故かくすくす笑っている。
「そんなことありませんわ」
「そうでしょうか…」
「ええ、何ならわたくしが保証いたしますけれど?」
「それは…頼もしいですね」
つられてアスランも少し笑う。
親同士が決めた婚約者ではあったが、彼女のことは嫌いではなかった。
ふわふわしているように見えて、恐らく自分などよりずっと強くて、しっかりしているのだと思う。
けれど、何かが違うのだ。
自分が、心の底から欲するものは。
求めてやまない存在は。
理由などわからない。
それでも、知っていた。
求めるのは、たったひとり。
「アスラン、今回のお休みは長いんですの?」
思わず沈んでいた思考の海から引き揚げるかのように、ラクスが声をかける。
「ええ、いつもよりかは…」
「それでしたら、わたくし、お願いがあるんですけれど…」
●
(何、やってるんだろう…)
部屋に戻ってきたキラは、そのまま扉に凭れて座り込んでいた。
気まずさにいたたまれなくなっただけじゃない。
アスランとラクスは許婚なのだ。
そんな2人の様子を見るのは正直、苦しかった。
(何を今更…)
わかっていたことだ。
あの2人はいずれ、結婚する。
ズキン
『アスラン・ザラは、いずれ、わたくしが結婚する方ですわ』
ラクスにそう聞かされた時と、同じ痛みが。
ずっと、心のどこかを刺していた。
ラクスのことは好きだけれど…
(だから…っ、何を考えてるんだ僕は)
ふ…
思わず自嘲的な笑みが洩れる。
自分の立場を思い出してみる。
ラクスの計らいで、地球軍側に荷担したコーディネイターであるにも拘らず、誰にも何にも見咎められず、今こうして平和に暮らしているのだ。
彼女には感謝しても、し足りないくらいだった。
そして……
アスランは。
(アスラン…)
コンコン
タイミングよく扉をノックされて、キラは思わず立ち上がった。
「はい?」
扉を開けた先には、
「キラ様、今、よろしくて?」
いつものように微笑みを浮かべたラクスが立っていた。
●
サアッ
夜風が頬を撫でていく。
暫し無言のまま、ふたりで庭を歩いた。
しばらく仕事で家を空けるラクスに頼まれたアスランは、そのままクライン邸に滞在することとなった。
夕食後、アスランに散歩に誘われたキラは、少し躊躇ったものの、一緒に夜風にあたることにした。
天(そら)には満天の星と。
満月が。
「月をね」
ぽつりと、アスランが呟く。
「見ると、無性に…懐かしくなるんだ」
そう言って、月を見上げる横顔は。
月光に照らされて、その光に溶け込んで…そのまま、消えてしまいそうで。
怖く、なった。
「プラントに来る前は、月に居たらしいから。その所為かな」
(月に、居た)
そう、アスランは忘れてしまったのだ。
月に居たこと。
共に在ったこと。
自分との時間を。
すべて。
アスランがキラの方に向き直る。
キラは、視線を逸らせぬまま。
「キラは…どうしてそんな寂しそうな顔をしてるんだ?」
「え…?」
思ってもみなかったことを言われて、思わず聞き返す。
「キラは、いつもどこかしら寂しそうな顔してる。今も、そうだ」
「そんな…こと」
声が震える。
「俺と一緒に居るのに…寂しい?」
「あ…」
(駄目、だ…)
―― 見透かされてしまう。
その、真っ直ぐな瞳に。
この心も、すべて。
「そんなこと、ないよ…」
―― 違う。
本当は、ずっと。
寂しかった。
どんなに優しくしてくれても。
それは、この自分がアスランにしたことを、彼が忘れてしまっているから。
どんなに一緒にいても。
彼は、自分との想い出を失くしてしまっているから。
思い出して欲しい。
思い出して欲しくない。
共に過ごした時間を。
戦わざるをえなかった、時を。
思い出して欲しくて。
思い出されるのが、怖くて。
…思い出して、離れていってしまうのが、怖くて。
もう二度と、離れたくなんて、ない。
だから、一緒に居ても。
怯えている、ずっと。
本当は、ずっと。
寂しくて。
「キラ…」
思わず伸ばされた手は、優しく頬に触れて。
(駄目だ)
動けなく、なる。
(駄目だ…っ)
「キラ」
抱きしめられた腕を。
振りほどけない。
「駄目…だよ……っ」
掠れた声で。
どうにかそれだけ言葉にして。
「どうして…?」
『許されるわけがない』
「…どんどん、我儘になっていくんだ」
『けど、もし許されるなら』
「どんどん、欲張りに、なって…」
名前を、呼んで。
触れて。
自分だけを、見て。
傍に居て。
…ずっと。
傍に居たい。
もう、二度と。
離れたくない ――
だから。
思い出して欲しい。
だけど言えない。
アスランが離れていくのが怖い。
だから言えない。
それでも。
傍に居たい。
許されるわけがないのに。
そんなこと、
許されるわけがないのに。
「キラは、俺が嫌い?」
「!?」
その言葉に、顔を上げると。
アスランの瞳は、じっとこちらを見つめたまま。
「俺はキラが好きだよ」
「………っ」
優しく、微笑んだまま。
「だから、俺はキラのいろんな顔が見たい」
その手がまた、頬に触れる。
「そんな寂しい顔だけじゃなくて」
どくん
「だから」
どくん
「もっと、いろんな顔」
どくん
「見せて ―― ?」
触れた唇は。
昔と変わらず。
どくん
(……知ってる)
どくん
(俺は、知ってる)
この衝動を。
この、熱を。
「キラ…」
「アスラン…っ」
むせ返るような、夏草の匂いと。
互いの熱と。
月の光に、抱かれて。
「は…っ、………」
「キラ…」
腕の中で荒い息を吐くキラの目元の涙を、唇で拭う。
「僕…は……」
切れ切れの息の合間に。
「僕は、ずるいんだ…」
(許されちゃ、いけないのに…)
「どうして?」
「…っ」
アスランの声は、優しく。
(言えない…よ)
「ずるくても、いいよ」
「…え……」
「それでも、キラがいい」
その声も。
その瞳も。
「キラじゃなきゃ、嫌だ」
「………っ」
真っ直ぐで。
涙が、出た。
「だって、僕は…」
(許されちゃいけない)
「君に、触れてもらう資格なんて、ない、のに…」
(それでも)
「幸せになんか、なっちゃいけないのに……っ」
(傍に居たい)
「キラ」
溢れる涙は。
「幸せになっちゃいけない人なんて、いないよ」
拭っても、拭っても。
とどまることを知らずに。
きっとこの涙のように、キラの心には拭い去れない傷があって。
それが何か、今はまだわからないけれど。
「キラの傍に、居たいんだ」
いつかそれがわかる日が来たとしたら。
支えるのが、自分であるように。
「キラは?」
(僕の罪は)
「キラは、どうしたい?」
(きっと消えない)
「僕は…」
(許されちゃいけない)
「…僕も」
(…それでも)
「アスランの、傍に居たい」
そして、その約1ヶ月後。
戦争は終わった。
--- 2003.5.2 ---
C.E.70 ――
血のバレンタインによって、一気にナチュラルとコーディネイターとの対立は激化した。
そして、C.E.72。
長きにわたる戦争は、終焉を迎えた。
コーディネイターの勝利によって……
●
帰ろう、あの場所へ。
カツーン
カツーン…
薄暗い通路に、靴音だけが響く。
1枚の扉の前で、先頭を歩く者の靴が止まる。
無言で指し示され、扉の前に立つ。
どくん
どくん
覚悟は決めてきたはずだった。
けれど、動悸は速くなる一方で。
そんな様子を知ってか、そっと腕にラクスの手が添えられる。
隣に立つラクスに安心させるように微笑んでから。
瞼を閉じ、深く息を吸い込んだ。
(逃げちゃ、いけないんだ…)
大きく、息を吐いて。
キラは瞳を上げた。
扉が開く。
薄いガラスの向こうに見える人影。
その人物が、ハッと顔を上げた。
「キラ君……?」
「お久しぶりです、………艦長」
覚悟はしてきていた。
非難の声も。
罵倒の言葉も。
…けれど。
驚きに見開かれた瞳は、すぐに薄く涙を湛え。
「無事だったのね…」
「………っ」
マリューの口から出た言葉は。
心からの安堵の声で。
そこには責める響きなど、微塵も感じられず。
「責めないんですか…?」
震えながら、思わずキラは訊いてしまっていた。
「え…?」
「地球軍は負けたのに…僕は、のうのうとプラントで生きていたのに……っ」
……心のどこかで。
詰られることを期待していたのかもしれない。
罵倒の言葉を浴びせられた方がきっと、楽だったのかもしれない。
それなのに…
「誰が、あなたを責められるというの?」
「え…」
それに答えるマリューの声はとても穏やかで、優しいものだった。
「あなたと、ストライクを失って、確かに戦況は厳しくなったわ」
「………」
「そして、どれだけあなたひとりに頼り切っていたかということを…痛いほど、思い知らされた」
……民間人の少年だった。
中立の場所に暮らす、ただの学生だった。
その彼を巻き込んだのは、自分。
コーディネイターと戦いながら、その自分たちが一番頼ったのはコーディネイターの少年で。
自分たちが生き延びるために。
どんな大義名分があろうとも。
この一人の少年に、どれだけの責任を課し。
どれだけの罪を犯させ。
どれだけの、苦しみを。
与えて、しまったのか…
「許して…くれるんですか?」
掠れた声で、どうにか口にして。
「許す?」
意外だと言うように、マリューは聞き返す。
「誰もあなたを責めたりしないわ…、そんな権利、誰にもないのよ」
むしろ、責められるのは自分。
恨まれるのは、自分のはずだ。
そうであるはずなのに。
ガラス越しに見るキラの姿は。
脆く、儚げで。
今にも泣き出しそうな顔をして。
「ありがとう、キラ君」
触れることは叶わないと、知ってはいたけれど。
「辛い思いばかりさせてしまったけど」
まるで、その涙を拭うように。
そっと、手を伸ばす。
「幸せになりなさい」
涙で視界が霞む。
溢れる涙を、抑えることもできず。
ただ、マリューの声だけは。
こんなにも、クリアに聞こえて。
「キラ様、そろそろお時間ですわ」
ラクスの言葉に顔を上げる。
マリューは穏やかに微笑んだまま。
「あ…」
何かを言おうとして、けれどそれは、言葉にはならず。
キラはその微笑みを、見つめることしかできずに。
「わたくしはまだすることがありますので、先にお戻りになっててくださいね」
ラクスに促されて、扉に向かう。
部屋を出る前に、もう一度だけ振り向いて。
マリューはまだこちらを見つめたまま。
そっと、声には出さずに、言葉を紡いだ。
―― 幸せに、なりなさい。
「…はい」
その一言だけ、どうにか声にして。
キラは部屋を後にした。
「寛大な処置、感謝致します。ラクス・クライン」
あとに残ったラクスに、マリューが心からの謝辞を述べる。
「……貴女おひとりが命を粗末になさっても、何にもなりませんわ」
ラクスの言葉に、ハッと顔を上げる。
ラクスは真摯な瞳で、じっとマリューを見つめ。
「どんなに綺麗事を言っても、死んでしまっては何もできませんわ」
「しかし…っ」
「生きているからこそ、できることがあるのではなくて?」
その言葉は、逃げることを許さぬ響きをもって。
胸を、刺した。
「今回の戦争は終わっても、人がいる限り、争いがなくなることはないでしょう。それは個として生きているから、感情があるから、どうしても他者とは相容れないところが出てきてしまうから。けれど人はまた、決して、一人きりでは生きていけませんもの。ですから、どうすれば皆で生きていけるか、それを考えることもまた、生きているからこそできることですわ」
ひとつ息を吐いてから、また言葉を続ける。
「貴女には、そのお手伝いをしていただきたいのです」
「ラクス嬢…」
「誰も…貴女を、人を、裁くことなんてできませんわ。きっと罰することも、赦すことも、すべて自分にしかできない」
すっと、瞳を閉じ。
そして再び上げた顔には、にっこりと微笑みを浮かべ。
「それにわたくし、一宿一飯の恩義は忘れてはいませんのよ?」
悪戯っぽく言われ、マリューは面食らう。
しかし、すぐにそれは微苦笑に変わる。
「貴女という人は……」
不思議な気分だった。
妙に清々しくさえ感じられるほどに。
この少女のどこに、これだけの強さが秘められていたのか。
(まだ、為すべきことがある)
そして、できることも。
マリューは瞳を閉じ、大きく息を吸い込んだ。
「ありがとう」
そう言ってラクスを見つめる瞳には、もう翳りも迷いもなかった。
それに微笑みを返してから、ラクスがぽつりと呟いた。
「生きるということは…罪を犯し、贖って。その、繰り返しなのかも、しれませんわね……」
「キラ?」
名前を呼ばれて、思わず振り返る。
「アスラン…」
ザフトの赤い軍服を身に纏ったアスランは、不思議そうにキラを見つめた。
「どうしたんだ、こんな所で…」
ザフトの軍司令部が置かれるこの場所に、民間人のキラの存在はひどく違和感があって。
(泣いてた…?)
キラの目が少し赤いことに、気付かぬはずもなく。
「アスラン」
もう一度自分の名を呼ぶキラの声は、いつものどこか頼りなさげな声とは違う響きを持っていて。
「僕、君に…ちゃんと話したいことが、あるんだ」
その瞳には、何か抗えない強さがあって。
「俺、今日はこれで上がりだから。待っててくれる?」
「うん」
病室へ向かう途中で。
その名前が耳に入った。
思わず視線を彷徨わせて。
(なんで…)
”誰か”と笑う姿を、捉えた。
「なんで…あの子が生きてるのよ……!?」
「どうぞ」
通された部屋は、ひどくシンプルなもので。
「何もないけど」
ちょっと照れくさそうに言うアスランに勧められて、とりあえず腰掛ける。
けれど、机の上には工具箱と、細かく記された図面が乗っていて。
キラは知らず微笑んでいた。
「で?」
ドリンクを手渡しながら、アスランもキラの向かいに腰掛ける。
「長くなるけど…聴いてくれる?」
「うん」
…覚悟はできていた。
この優しい微笑みを、もう一度失うこと。
けれど、もう。
(僕は、逃げない)
そしてキラは、ゆっくりと話し始めた。
自分とアスランの、”すべて”を。
窓の外は、もう紅く染まっていた。
すべてを話し終えたキラは、胸のつかえがとれたように。
もうアスランに隠し事をする後ろめたさは感じなくていいから。
…それでも。
失う怖さは変わらなかったけれど。
「はぁ…」
暫しの沈黙の後、アスランが大きくひとつ溜息を吐く。
キラの肩がびくっと震える。
恐る恐る顔を上げると、アスランの瞳はじっとこちらを凝視している。
(逸らしちゃ、ダメだ…)
その視線が強すぎて、目を逸らしたい衝動に駆られたけれど。
キラは、真っ直ぐにその視線を受け止めた。
「やっぱり…怒ってる?」
「ああ、俺は怒ってるよ」
それでも、口にしてしまったのはそんな言葉で。
アスランはその言葉に即座に答えを返した。
「なんですぐ話してくれなかったんだ?」
「え…?」
言われた意味が呑み込めず、キラは思わず訊き返していた。
「だから、なんでそんな大事な事、すぐ話してくれなかったんだ、キラ」
「だって…」
(あれ…?)
想像していたのと、何か違う。
「だって…僕は、何度も君を裏切って……」
アスランは、何に怒ってる?
「それなのに、僕はこうして、君の傍に居たいって…思って」
何を、怒っている?
「でもアスランが思い出して、…嫌われるのが怖くて……っ、言えなくて…」
途切れがちに、それでもどうにか言葉を続けるキラを見つめていたアスランは、もう一度大きく溜息を吐いた。
「それで?」
「それで、って…」
「じゃあ訊くけど。結局、俺もキラに同じことしたんだろう? だけど、キラはどうだ?」
「?」
「キラは今、俺が嫌いなのか?」
「!!」
(あ……)
そんなこと、思いもしなかった。
たとえ、どんなことがあっても。
自分がアスランを嫌いになるなんてこと、ありえなかった。
ぽかんと呆けているキラの姿を見て、アスランはしょうがないな、という風に笑って。
優しくキラの髪を梳いた。
「わかった? キラ」
「あ…」
「俺も同じ。キラのこと、嫌いになるなんてありえない」
「アスラン…」
優しい微笑みは、変わることなく。
心の奥深く凍えていた欠片もすべて、涙と一緒に溶け去って。
「ほんっと、キラは泣き虫だな」
そう言いながら、その体を引き寄せる。
どうしてあの時、あんなに懐かしかったのか。
どうして、キラの涙にあんなに心が痛んだのか。
どうして、
こんなにも、求めてやまないのか。
(そういうことか…)
失ってしまった過去に、そのすべての答えがあって。
「…でも、なんか腹立ってきたぞ」
「え?」
あまり穏やかでない言葉に、キラが思わず顔を上げると、アスランは少し不貞腐れた顔をしていて。
「昔の俺は、今の俺の知らないキラをいっぱい知ってるんだよな」
「うん?」
「なんだか、ずるくないか」
「へ?」
思わず間の抜けた声を上げてしまったものの、アスランの表情はすこぶる真剣で。
(アスラン、まさか…)
やきもちを妬いてる ―― ?
(自分に…?)
真剣に思い悩んでいる様子に、
「………」
「キラ?」
「…っ、あはははは」
キラは思わず笑い出していた。
「な、なんで笑うんだ、キラ」
「だ、だって…」
肩を震わせて、思い切り笑うキラの姿に。
始めは吃驚していたアスランも、つられて笑い出す。
「ははは」
そうしてしばらく、ふたりで笑った。
「…やっぱり」
そして、ようやく落ちついてきた頃。
「キラは、笑った顔が一番いい」
アスランにそう言われて、キラも微笑み返す。
わかっていた。
これが、本当の笑顔だと。
アスランと離れてから、初めてやっと笑えたのだと。
やっと、また。
心から、笑えるようになったのだと。
「ねえ、キラ。月に行こうか」
「え…」
「月に帰ろう?」
アスランは優しくキラを見つめて、言葉を続ける。
「月で、ふたりで暮らそう?」
「…けどっ」
それは、何にもかえがたいほど、嬉しい提案ではあったけれど。
「ラクスのことなら大丈夫だから」
「え…?」
「彼女は全部、お見通しだから」
苦笑しながら、それでもキラを安心させるようにもう一度抱きしめて。
「月に帰ろう?」
アスランがもう一度訊く。
キラの答えは決まりきっていた。
「うん、帰ろう」
あの場所へ。
すべての始まりの、地で。
もう一度、始めるために。
アスランの手が、優しくキラの頬に触れて。
じっと、その紫の瞳を覗き込んだ。
「抱いていい?」
静かに、囁くように。
それでも、真摯な瞳でそう問われて。
「………っ」
キラの頬は赤く染まっても、アスランの瞳から目を逸らせずに。
「抱きたい」
「…そんな、こと」
ようやく口にできたのは、非難めいた言葉。
「今まで、一度だって訊いた事ないじゃないか…」
ちょっとだけ、頬を膨らませてみせて。
でもそれが照れ隠しに過ぎないことなど、アスランにはわかりすぎるほどにわかっていた。
そんなキラに、クスッと笑いながら。
「……嫌?」
視線を逸らさぬまま、訊く。
「………嫌じゃ、ない…」
微かな声で発せられた答えに、最上級の笑顔を向けて。
そっと、唇に触れる。
ずっと昔から知っていた。
ずっと、求めてやまなかった。
その、温もりを。
もう二度と、離さない。
翌日。
「おかえりなさい、キラ様」
屋敷に戻ってきたキラを、ラクスがいつもの優しい笑みで迎える。
ラクス同様、出迎えたトリィを肩にたくさん止まらせて、
「ラクス…あの」
躊躇いがちに言葉を探すキラに、ラクスの方から切り出す。
「アスランと、お会いになったのでしょう?」
「う、ん…」
「月に、行かれるのでしょう?」
「…ラクスっ」
弾かれたように顔を上げると、ラクスはいつものように微笑んだまま。
「お話は、伺ってますわ」
アスランから相談を受けていたこと、婚約解消していたこと、そんな大事なことを、いつものようにあっさりと言いのけて。
「それで、出発はいつですの?」
「あ、えっと…今日、なんだ……」
「急ですのね」
「アスランは除隊の手続きとかあるから…僕が先に向こうに行くんだ」
「そうですか…」
寂しそうに呟くラクスに、胸の奥がずきりと痛む。
ラクスのことは本当に好きなのだ。
感謝もしている。
できれば、悲しい思いなどしてほしくはなかった。
けれど。
アスランだけは、譲れないのだ。
たとえ、誰であろうとも。
「キラ様、お願いがあるのですけれど…」
「何?」
「トリィちゃん達、わたくしに預からせてくださいな」
「え…」
「ピンクちゃん達も寂しがりますし、あの子たちみんな、連れてはいけないでしょう?」
当のトリィ達は屋敷中を飛び回っている。
「…お願いしても、いい?」
「ええ、喜んで」
ラクスは本当に嬉しそうだ。
「ですから、たまには様子を見に来てくださいね?」
「うん、勿論…」
キラがすっと、手を差し出す。
「ありがとう、ラクス…」
ラクスがキラの手を両手で包む。
「わたくし、アスランもキラ様も、大好きですわ。…ですから」
そしてそっと、その手の甲に口付けた。
「幸せに、なってくださいね」
「うん」
”幸せ”の定義なんて、本当はとても曖昧で。
はっきりとした形なんて、ないけれど。
それでも、自分にだけはわかっているから。
一番大切な人と、在ること。
一番、大切な。
アスランと、共に在ること。
お互いに涙を浮かべて。
そして互いに、優しく微笑んで。
キラはもう一度、ラクスに告げた。
「ありがとう」
「アスラン・ザラさんのお宅? ああ、それならこの角を曲がってすぐだよ」
「そう…」
おぼつかない足取りで、言われた道を進んでいく。
礼も言わず立ち去るその姿に内心苛立ちながらも、そのままその住人はその人影を見送った。
(……許さない)
口元には、笑みさえ浮かべて。
ボストンバックひとつを手にして出てきた相手に近づいていく。
「あなたが…アスラン?」
「はい?」
(見つけた)
「あの、何か…」
言い終わるよりも早く、下腹部に鋭い痛みが走る。
(な……)
本能的にそこに当てた掌には、生暖かい感触が広がって……
視界が歪む。
嫌な汗が身体中を伝う。
「……さない」
(な…に……?)
何か言っているようだが、その音は言葉にはならず。
ただ、ノイズのように。
「あんただけ幸せになるなんて、許さない…っ、キラ ―― !!」
(キ、ラ?)
「キラ」
『だって僕は、許されちゃいけないのに』
『それでも、僕は…アスランと一緒にいたい』
『これ…君が?』
『戦争なんか嫌だって、君だって言ってたじゃないか』
…何かが、舞っている。
淡い、柔らかな光の中で。
(桜……?)
「キラ」
「アスラン…」
「首傾げて鳴いて、肩に乗って、飛ぶよ?」
「キラもそのうち、プラントに来るんだろう?」
(ああ、そうだ ―― )
一番大切な想い出。
優しかった時間。
共有していた穏やかな日々。
一番、大切な…
ひらひらと、舞う。
ピンクの花弁。
淡くて優しい、光に包まれて。
ぼんやりとした輪郭が。
像を、結ぶ ――
『アスラン』
(キラ……)
そう、だ。
一番、大切な。
君を、
忘れること。
…それが、
俺への、”罰”だったんだ ――
……帰ろう。
帰ろう、あの場所へ。
そして、今度こそ。
ずっと、一緒にいよう…
「ただいま」
そっと瞳を閉じて、誰ともなく呟いてみる。
ひとつ深呼吸をして。
瞳を開ける。
目の前に広がる、桜並木。
穏やかな光の下。
淡くて優しい色が広がっている。
(綺麗…)
アスランを見送った、あの日。
あの時の桜は、あんなにも哀しく見えたのに。
(こんなに、綺麗だったんだ……)
思わず目を細めて。
それから、知らず微笑んでいた。
「どうかされましたか?」
「え?」
いきなり声をかけられて、驚いて振り返ると、見知らぬ人が立っていた。
「あ、えと…」
「ああ、ごめんなさいね、急に声をかけたりして」
その年配の女性は、申し訳なさそうに微笑んだ。
「あまり人が通らないものだから」
「あ、そうなんですね」
「でも、綺麗でしょう、ここの桜は」
「はい、思わず見蕩れてました」
ちょっと照れたように笑うキラを優しく見つめながら、
「誰か待ってらっしゃるの?」
「はい」
そう聞かれて、思わずキラは嬉しそうに答えた。
「一番大好きな人なんです」
迷わず答えたキラに、その女性も思わず笑顔になる。
「そう、その方、早く来られるといいわね」
「はい、ありがとうございます」
立ち去っていく女性を見送って、再び桜の天蓋を仰ぐ。
「早く来ないかな、アスラン」
はらはら、と。
薄紅の花弁が舞う。
早くこの景色を一緒に見たい。
ここからまた、始めるから。
もうどこにも、行かないから。
「大好きだよ、アスラン」
今も、昔も。
ずっと。
唯一つだけ、変わらなかった気持(もの)。
一陣の風が、吹く。
舞い上がる花びらが、視界を染める。
辛かった日々さえも、優しい色に変えてゆく。
(大丈夫。僕はもう、大丈夫だ…)
初めて出逢ったこの地で。
共に過ごしたこの場所で。
もう一度、始めるから。
……この場所に。
僕たちは、帰ってくるから。
--- 2003.5.28 ---
どんなに遠く、離れたとしても。
ただひとり、君だけを。
ずっと。
ずっと、想っている。
ザアッ…
春の風が、花弁を散らす。
淡く、柔らかな光の中。
薄紅の花弁が、舞い踊る。
「ほら、早く」
「そんなに急がなくても桜は逃げないよ」
思わず苦笑しながら、そう応えたけれど。
前を急ぐその姿を、眩しそうに見つめていた。
暖かな光と、それを彩る花の波に、溶けてしまいそうな笑顔を浮かべて。
キラが振り返る。
「だってさ」
「だっても何も、俺は傷が塞がったばっかりなんだぞ?」
「あ、ごめん」
慌てて謝るそんな姿に、溢れる愛しさを隠そうともせずに。
アスランも、穏やかな笑みを零した。
再び病院のベッドで目を開けたとき。
視界に飛び込んできたのは、涙で濡れた紫の瞳。
溢れる涙を拭おうともせずに、キラはただ、アスランの名前を呼んで。
そして、知ったのだ。
互いに。
想い出も、一番大切な存在も。
取り戻したことを。
ふたり並んで、桜の天蓋を仰ぐ。
柔らかな、穏やかな光が射し込む、その場所に、立って。
春風が、優しく頬を撫でていく。
ひらひらと、幾つもの花びらを躍らせながら。
「…あの時は」
隣に立つキラが、桜を見上げたまま口を開いた。
「ここの桜が、すごく悲しかったんだ」
―― 3年前の、あの日。
満開の桜の下で。
幾つもの想い出と、トリィを残して立ち去る背中を見送りながら。
こんなに柔らかな光も。
穏やかな、風も。
何もかもが。
悲しい色に、染まっていて。
「こんなに綺麗なのに、悲しくて…寂しかった」
そう言ってアスランに向き直るキラの瞳には、透明な雫が滲んでいたけれど。
「けど…」
ぎゅうっと、アスランの袖を握りしめて。
「本当は…こんなに綺麗だったんだよね」
そう言って、微笑った。
綺麗なものも、独りでは綺麗じゃなくて。
だけど、ふたりで見れば。
もっともっと、綺麗に見えるから。
「ああ」
アスランがそっと腕を伸ばして、キラを抱き込んだ。
何よりもよく知っていて。
何よりも、望んでいた。
その、存在を。
もう二度と、離さないように。
嬉しいことも、悲しいことも。
ずっと、分かちあってきた。
…そして、これからも。
同じ気持ちを、分け合って。
ずっと、ずっと。
一緒に、生きていく。
「ただいま」
この、場所で。
--- 2004.1.14 ---
君は誰?
私は何処にいる?
君は、何処にいるの?
私は、誰?
君は、何を歌うの?
貴方は。
僕は。
誰 ―― ?
唐突に音が戻ってくる。
雑踏。
喧騒。
街の只中に立ち止まる僕。
「おい、危ないだろ」
「あ、ああ。ごめん…」
腕を引かれて、歩道に引き戻される。
信号は、赤になっていた。
「まったく、何ぼーっとしてるんだ?」
「え、別に…」
耳に届く声。
音。
確かに、さっきまでは聞こえなかった。
聞こえていたのは。
(歌……?)
優しい、声。
どこかで聴いた。
そして、とても懐かしい…
「おい、綾人!」
「わっ」
「”わっ”っておまえ…、また意識飛んでただろ」
目の前にある、心底呆れたような顔。
「あ、えと…。ごめん」
「ま、いーけど。ほら、さっさと渡っちまおうぜ」
擦れ違う人の群れ。
行き交う言葉。
声は、流れに乗って。
そして。
探して、私を。
「え…?」
確かに届いた。
歌うような、囁き。
思わず振り向いた先に、確かに見た。
微笑む、君を。
「あ…」
鳴り響くクラクション。
信号は赤になり。
その姿は、人波に消えて。
探して。
「もう本当にいい加減にしろよ、綾人!」
「痛い、痛いってば。わかったからひっぱるなよ」
ねぇ、君は。
確かに、いたよね?
……僕は、確かに ――
探して、貴方を。
流れるうた。
優しい、うた。
―― 世は、音に満ちて。
--- 2004.10.2 ---
「…わかったような気がする」
「え?」
「星からの答え…約束の地」
一語一語を、噛みしめるように。
「そこで…会えると思うんだ」
そう言った彼の瞳(め)は、穏やかだった。
緑の輝き(ひかり)に包まれて、メテオは消滅した。その瞬間、祈る彼女の姿を見た気がした。その顔は、優しく微笑んで…そして、私の隣で立ち尽くすクラウドは‥‥愛しそうに、じっと、その姿を見つめていた ――
「‥‥で? これからどうするんだ?」
「セフィロス倒したってことは…もうマテリア要らないよね? ね?」
「あーーっっ、こいつ、いつの間に!?」
「へへーん、《マテリアハンター・ユフィ》様はまだまだ終わりじゃないのさっ じゃ、あたしはお先に帰らせてもらうからさ。またどっかで会おーねー」
「待ちやがれーーっっ」
「よせ、バレット」
「海チョコボに乗っていかれたんじゃぁ、もうムリだよ」
「…ま、あいつらはとりあえず放っといて、と。おまえはどーする、クラウド? ミッドガルで降ろすか?」
「いや、俺は」
‥‥言わないで、クラウド。
「ここで降りるよ」
お願い ――
「ここでって…こんな処で降りてどーすんだ? 大体チョコボなら今ユフィが持ってっちまったぞ」
それには答えずに、ただ、首を振るだけだった。
「…そうか」
ホントは、わかってた。こうなること。
きっともう、クラウドは帰ってこない。
‥‥それでも。
「クラウド」
『おかえりなさい』は云えなくても。
―― ゆっくり、振り向いて
「いってらっしゃい」
―― 静かに、微笑(わら)った。
そして彼は、行ってしまった。
泣かない。大丈夫、だって、泣く必要ないじゃない? …泣いてない、だから。
これは気のせい。
喉の奥が熱いのも、頬を伝う感触も。
「……っ」
―― 忘れないで、クラウド。
あなたには、帰れる場所があることを。
忘れないで。
たとえ、どんなに季節が巡ろうと。どこかで会えると信じてる。
信じてる。きっと、二人に会えるよね‥‥‥
--- 1997.12. ---
「ただいま」
もう自分を迎えてくれる温かい声はないと知っていても、チェスターはあえて声に出して言った。
そう、自分は確かにここに帰ってきたのだから。たとえ、見慣れた風景も、優しかった人達も、大切な妹も、みんな失ってしまったのだとしても。
…だから。
廃虚と化したその場所に立って、彼はもう一度その言葉を口にしてみる。
「ただいま」
かつて自分の部屋であった場所に行き、チェスターは辺りを見渡してみた。そこにはもう、かつての面影はない。
何から考えればいいのか。何を考えようとしているのか、よく、わからない。ただ、とにかく自分は戻ってきたのだと、その安堵感と、それから何か焦燥のようなものを、ただ漠然と感じていた。
どれ位の時間、そこでぼんやりとしていたのか。周りは何の音もなく ―― 小鳥の囀りさえなく ―― 静けさだけが支配していた。時折吹く風が、塵芥を吹き上げるだけで。
ふと頭に、親友の顔が浮かぶ。
クレスとミントは今、南の森に行っている。ミントの母・メリルの墓に、帰ってきたと報告するために。
あの二人はいずれ、一緒になり、新しい家族を作るだろう。
(ま、あの二人じゃ、いつ進展するかわかんねーけどな)
あの二人の間にある温かなもの、それは確実に、この現実を乗り越える糧となる。
それでは、自分は……?
無意識のうちに、チェスターは溜息をついていた。
しなければならないことはたくさんある。急ごしらえで作った、妹や村人たちの墓も整えなければならない。村を元のように復興させなければならない。何より、今はまだ、雨露を凌ぐ家すらないのだ。そう、しなければならないことは、たくさん、ある。
だけど。
今一番、自分がしなければいけないことは。
自分が一番、したいことは ――
「なーにシケた顔してんのさ」
それは、よく知った声。たった数時間前までは傍に居たのに、今ではとても遠くに感じていた声。……とても、懐かしく思えてしまう声。
「アー…チェ?」
いつの間に来ていたのか。そこには、少しだけ大人びたアーチェが立っていた。
「まったくさー」
よいしょ、と言いながら、瓦礫を避けてアーチェが近付いてくる。
「戻ってきたんなら、さっさと会いに来なよね」
ひょいと、アーチェが呆然としているチェスターの顔を覗き込む。
「ちょっと、何ボーッとしてんのよ」
そう言われて、チェスターはようやく我に返った。
「お、おまえ…」
「なーに? このアーチェさんがこーんなに美しく成長したんで、見とれてたとか?」
「バ、バカ野郎、そんなわけあるかっっ」
実は少し図星だったりするのだが。
「何よー、久々の再会だっていうのにさー」
「何言ってんだ、ついさっきまで居‥‥」
言いかけて、チェスターはハッとなった。
「……アンタには『さっき』のことかもしんないけど」
急に、アーチェの涙腺が緩む。
「あたしには、百年だったんだよ?」
アーチェの頬に涙が伝う。
「ずっとずーっと待ってたんだよ? 指折り数えてみんなと会えるの、百年間ずっと待ってた。クラースもミラルドさんも、お父さんも死んじゃって、それでも一人でずっと待ってたんだから……!」
言い終わらないうちに、チェスターは、思わずアーチェを引き寄せた。
「あたしはハーフエルフだから、平気だって思ってた。あっという間だと思ってた。それでも、百年は長かったよ」
「うん」
「一人は、寂しかったよ…」
「うん」
‥‥そう。たった数時間でも、長かった。寂しかった。
「…ずっと、アンタに会いたかったよ」
「………ああ」
会いたかった。
一番したかったこと。
アーチェに、会いたかった。
「…へへ、柄にもなく泣いちゃったよ」
照れくさそうに言いながら、アーチェはチェスターの顔を見上げる。真っ直ぐチェスターの瞳を見つめて、そして、にっこりと笑った。
「百年も待たせたんだからさ、責任取ってよね」
大切だったもの…自分を温かく迎えてくれる妹も、優しかった人々も、見慣れた風景も、すべて、失ってしまったけれど。
「…おかえり、チェスター」
「ああ、ただいま」
長い、長い夜が来るよ。
僕は、夜明けに何を祈る?
……君は、
何を、祈った?
●
カシャ
暗い部屋に、映写機の音だけが響く。NYや東京と違い、都会の喧騒や明るさはここでは皆無だ。下ろされたブラインドの隙間から洩れ入る光は、月明かりだけ。その部屋で、英二は静かに映し出された想い出を見つめていた。
カシャ
永遠に変わることのない姿を。
カシャ
自分にだけ見せた、年相応の表情を。
カシャ
彼の隣で笑っている、自分を。
(……とても、幸せな夢を見るんだ)
心の中で、そっと呟く。
あんな事にならなければ、きっと現実になっていた夢。
ずっと、思い描いていた夢。
あれから何年経っても、ずっと見続けている。
あの頃のまま、二人でいろいろな場所を巡っている。荷物はカメラだけ。二人でいろいろな景色を見て、いろいろな人に会って。約束通り、日本にも行って。
ずっと、二人で。
それは、とても幸福な夢。
そして。
とても、残酷な夢でもある。
もう決して叶うことのない夢を、ずっと、…ずっと見続けている。
壁に映し出された二人の姿が滲む。
気が付けば、涙が一筋頬を伝っていた。それが合図だったのか、まるで堰を切ったかのように、とめどなく涙が溢れてきた。この七年間、決して流れなかった涙が。彼がもう居ないのだと知らされたときにも、冷たくなった頬に触れたときも、ひとり残された夜にさえ、泣けなかったのに。
「 ―― っ」
七年分の涙が、 ―― 想いが、溢れてくる。
本当は知っていた。たとえ、彼の写真をすべて隠しても。彼が最期を迎えた場所に近付くまいとしても。何も、変わらないのだと。
彼を失った現実は、何も変わりはしないのだと。
……それでも。
夜明けは訪れるのだ。
どんなに長い夜でも。どんなに暗い闇でも。いつかは、光が射し込むのだ。今、この瞬間のように。―― だから。
恐れずに。怖がらずに。瞳を開けてみればいい。
窓から射し込む光に導かれるかのように、英二は立ち上がり、ブラインドを上げて、そっと窓の外に目を遣った。
訪れた夜明けの中に、いつかの景色が浮かぶ。
あれはそう、ロング・アイランドに向かうフェリーの上で。ずっと気になっていたことを彼に尋いた時のこと。
「前に話してくれた事があったじゃないか、君の本当の名前 ―― <アスラン>っていうのはお母さんがつけたものだって。ちょっと変わった名前だよね…、何か意味があるの?」
「古代ヘブライの祈りの言葉なんだってさ。<暁>という意味だそうだ…。オレは夜明けに生まれたんで」
この夜明けに、君の名に祈ろう。
祈ることは、ただひとつだけ。
僕にとって、君と過ごした日々が幸福だったように、君にとっても、僕との日々が、幸福であったように ――
今はもう、それしかできないけれど。
●
ギャラリーの一番奥に飾られた一枚の写真の前で、少女は立ち止まった。ケープ・コッドから帰ってすぐに、英二が飾ったその写真には、穏やかな表情の青年が写っていた。眠っているのか、それとも祈っているのか。その横顔を、朝陽が優しく照らしている。それが自分と同じ名前を持つ人なのだと、暁にはすぐにわかった。
この写真を見て、彼を知る人は、何を感じるのだろう。
懐かしさだろうか。それとも、愛しさか。
でもきっと、皆、静かに涙を流すのだろう。
隣に立つ、シンのように。
皆、知っているから。
どんなに彼を愛しているか。ファインダー越しに感じられる深い愛を、互いの信頼を。
彼を知らない自分にさえ、その想いが伝わってくるのだから。
「……きれいな人だね」
いつの間に来ていたのか、後ろに立つ英二に向かって、暁は素直に思ったことを伝えた。……もう、大丈夫だ。素直に、そう思えるから。
「魂(こころ)も、とてもきれいなんだよ」
そう応える英二の顔も、とても穏やかだった。
きっと、もう、……大丈夫。
ねえ、アッシュ。
僕は忘れないよ。忘れられるわけがない。
どんなに月日が経とうとも。どれだけ季節が巡っても。
君と共に在った日々を、あの、幸福だった日々を、僕は、忘れない。
愛しているよ。
今までも、これからも、ずっと。
もう二度と触れることも叶わぬほど、遠く離れていても。
僕の魂は、いつも君と共にあるのだから。
忘却はきっと罪じゃない。
それは多分、人生という闘いを生き抜く為の本能的な手立てだから。
―― それでも、忘れられるのは、怖い。
●
「アッシュ」
広い部屋にその声は響いた。
「アッシュ?」
そこに居るハズの、彼を求めて。
「アッシュってば」
そう、そこに居るハズだった。そこに居て、静かに自分を振り返るハズだったのだ、いつものように、ちょっとシニカルな笑みを浮かべながら。
「ああ…そうか」
その声の主は、何かを悟ったように呟いて、そのままそこにあるベッドに崩れるように座り込んだ。
「そうだったね…もう君は、居ないんだね ――」
そうだ、もう彼は居ないのだ、どこにも。たとえ彼の名前を呼んでも、泣き叫んでも、もう触れることも出来ないのだ。もう彼の声を聴くことも出来ないのだ。もう…彼の口から自分の名を呼ばれることも、ない。
どうして。どうして君は、僕を置いていってしまった?
「アッシュ…!」
………誰かが俺を呼んでる。
行かなきゃ、その声の主の許に。
どうしてお前は泣いている?
声を押し殺して。背中を丸めて。どうして。
独りきりで ―― …
お前は俺を抱きしめてくれたのに。
俺の震えも何もかも取り去ってくれたのに。
それなのに…俺のこの腕は、もう何の役にも立たない。
お前をもう抱きしめることもできない。
お前の為に、何もしてやれない。
……それでも、忘れないでほしい。
こんな願いはただの我儘だってわかってる。わかってはいるけど。それでも。
いつでも、お前の傍に居るから。
忘れないで、ほしい ――
「英二っ」
呼ばれた声に目を開けると、そこには見慣れた彼の顔があった。ただひどく、心配そうな表情(かお)をしているけれど。
「アッ…シュ……?」
我ながら呆けた声だなとは思いながら彼の名を呼ぶと、少しだけ安堵の色を見せ、それからちょっとからかうように、
「何寝ぼけてるのかな、オニイチャンは。怖い夢でも見たのか?」
「ああ…うん、何だろう、よくは覚えてないけど、ひどく…怖かったような気がする」
額にうっすら汗が浮かんでいる。思わず手をやってから、何故かぞくりとした。どうしたのだ、自分は。
「…とりあえず、何か飲むか? 取ってきてやるよ」
「! 待って…っ」
言葉より先に、彼のシャツを掴んで引き止めている自分が居た。自分でも驚くくらいに怯えている。
―― 何に?
「英二…?」
「ごめん…ちょっとだけでいいから」
そう言うとアッシュを抱きしめ、彼の胸に自分の顔を埋めていた。
「…これじゃいつかの逆だな」
「……まったくだね」
何故だろう。どうしてこんなに胸が騒ぐのだろう。
確かにここに、アッシュは居るのに。
………どうして、君は ―― …
●
忘却は罪じゃない。
でも、僕は忘れない。
たとえいつか肉体は滅ぶとも、僕の魂は君を憶えている。
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真性アスキラー。
思いもよらずダブルOが歴代G
の中で一番好きな状況に。
成層圏の向こう側まで狙い
撃つ兄貴を愛してやまず。
BAS●RAの影響で戦国史に
どっぷり。VIVA眼帯。
えろすきーだけどホモスキー
に非ず。
オフラインでは【絶対零度】
というサークル名で活動中。